voldenuit12’s diary

平和、社会情勢、趣味、アート、音楽、映画、読書のことなどつらつら書いていきたいな

顔とはなんぞや

顔とはなんぞや?

中学生から、学年中の人気者の姉と比べられて、いつもブサイクな自分の顔で泣いてきたこと。私が13歳になる頃、後藤久美子さんが芸能界から出てきて私たち中学生の嫉妬の的になったこと。宮沢りえさんが出てきて、私たち中学生の憧れの的になったこと。芸能界を見れば美男美女が集まる。同じ人間とは思えないくらいの美男美女。ある超高級ホテルで仕事していた時、モデルさんや「美」を作るクリエイターの集まりのパーティにお呼ばれしたことがあるんです。その時にパリコレのモデルさんと遭遇。直にその人を見た時、

「人間?」

と思うくらいの美貌。もう、子供が19歳でモデルをしていたと言うから、40歳は超えているんですが、あの半端ない美しさ…元モデルさんにも直に会ったんですが、クレオパトラみたいに知的で健康的な美しい人(体が健康的でした。ふくよかなんだけど、肌がピチピチしてるんです)で人をはっとさせる。確かにあなたが美女?という人もいたんですが、モデルとなるとレベルが違う。本当に美しいんです。もう、オーラが違う。私は自分の顔にコンプレックスがあったから、美女に憧れていたんです。だから、映画やテレビで美女を観るのが好き。最近「マンハント」を観たんです。福山雅治さんがメチャメチャかっこいいの。あのアクション。凄い、素敵、かっこいい〜と呻いたけど、映画のデキとしては、~_~;だった。本当にあの世界に名だたるアクション映画監督のジョンウーが携わった映画?ってくらい。始めのシーンで難波のビルが出てきて、心が踊るんですが、そこに出てくる美女がいけ好かない。映画の美女。映画の美女。ドラマはとにかく映画は端役の人も美女が多い。でも、マンハントに出てきたのは、エキセントリックな化粧の濃い美女。

美女、美女、美女…

本当に美女か?

この程度なら日本に掃いて捨てるほどいてないか?

もう、そこで映画に入れなかったんです。私は映画に美女を求めていた。あの美女役は中国で有名なモデルさんなんだろうか?後で判明したのは、その美女は日本人モデルのTAOさん。私の好きな「vouge」のモデル、TAOさん。ジョンウー監督はマーケットを日本基準にしているんじゃなく、世界基準にしているんですよ。日本人が誇る世界基準のモデルさん。

TAOさん…ごめんなさい。私の日本基準では全く美女の類に入らなかった。

日本と世界の隔たりと言うと藤原紀香さんがいい参考になると思うんです。日本ではあれだけの体に、あのベビーフェイスの可愛い顔。あの可愛い顔に太刀打ちできる人なんていないくらいの日本を代表する美女だった。でも、一回、ナオミ・キャンベルだの、クリスティナ・タールトンなど世界のモデルの中に写った時、えっ?藤原紀香さんてこの程度だったの?と唖然としたことがあった。日本随一の美女でも世界基準になるとありきたりな普通の人になっていたんです。欧米が好む女性の顔じゃないし、モデルとするのでも個性が全然足りなかったと思います。欧米のモデルに完全に飲まれていた。あれだけ日本を代表する美女なのに。藤原紀香さんは性格いいし、私の偏見で批評したくないんです。でも、美の基準とは何かと言う疑問を抱かせたのは藤原紀香さんの写真でもあったんです。考え込んだのはつい最近だけど


初めてブリジット・バルドーの顔を見て、わぁ、凄い美女って思った人いるのかな?日本に…私、初めてブリジットバルドーを見た時、美人と言われる顔じゃないなと思ったんです。フランスの美的感覚が全く分からなかった。何でこの人がフランスを代表する美しい顔なんだろうか?って不思議だったんです。でも、時が経つごとにブリジット・バルドーの魅力に取り付かれたんですが、初めは全然分からなかった。


私は全然、美人じゃないんです。本当に。

でも、オーストラリアに行った時、凄くもてたんです。本当に…日本では全然もてないんです。でも、オーストラリアにワーホリで行った時、白人や黒人から、みんなに、「lovely」って言われてちやほやされたんです。lovelyとは美人と言う意味なんです。正直、私が?って意味が理解できなかった。ホームステイしていた時にホストマザーが、「あなたは美人よ」と言って、ホストマザーの友人に紹介してもらったり、クルザーに連れて行ってもらったり。町を歩けばたくさんの黒人に誘われたり、手をつながれたり。オーストラリアのファームで働いている時に経営者の息子さんと車に乗せてもらって、プチデートみたいなのをさせられたり。日本のモデルさんに間違えられたり。私の元彼も韓国人でアジアンの中では顔は全然ダメだったのに、オーストラリアでは、No.1と言われて、白人の女の子に口説かれていたこと。クラブでバイトしている時に白人は元カレのお尻触ってきたみたいです。彼氏はマッチョで身長がある子だったんです。でも、日本人は「あの顔は生理的に受け付けへんわ〜」って言っていた。でも、オーストラリアではキュートと言われてモテる。

顔が美しいとか魅力的だとか言うのも、モテるのも運。顔立ち云々だけじゃない。人を美しいと思わせるものは顔立ちだけじゃない、体から放たれるオーラ、存在だと思うんです。人を痺れさせるようなオーラ、存在。そういう人が心から人を美しいと思わせる。だから、顔と言うのは自分が行ってきた、考えてきたことを自分で書き込む生き方の証明書みたいなものだと思うんです。


私はどこにでもいるような普通の顔。友達に私の顔は政治家の顔だとか、学校の先生のような顔だとか言われるんです。私は本を良く読むから、凄く知的だとか言われるけれど、硬い顔をしているんです。ファッションセンスでは、センスのない顔をしているんです。美輪明宏さんの言うように、自分の生活が全て顔にでるんですよ。若い時に顔が可愛いとちやほやされていい気になって生きて、後で痛い目にあう人がいる。若い時に美人な子と言うのは神に愛されたような感じだと思うんです。もう、何をしても可愛い。高い服なんて着なくても、安い服でも着こなしていけるような力がある。で、何も努力せずに生きていると、顔がそういう惰性に流された顔になるんです。でも、30歳を過ぎたら、自分の顔に責任をもたないといけない。

ずっと、可愛い人が羨ましかった。でも、私は年老いた顔が好きだったんです。ローザパークスさんみたいに、美しいシワを顔に刻んでいる人が好きだったんです。顔とは作り上げるもの。若い人で可愛い人は楽に生きられる。最近のアダルトビデオに出てくるの女の子は本当に芸能人並に綺麗だと思うんですが、(別に私がアダルトビデオを見てるわけじゃないけど)深夜番組やテレビに出てくるアダルトの女優さんは何もない顔をしているんです。何も考えていない顔。みんなに可愛い、可愛いとちやほやされて、みんなに甘えているのはいいけど、正直、その甘えがいつまで持つんだろう?て不思議に思う顔。また、たくさんの芸能人がいて、みんなメンテをして、美しさを保っているけれど、顔立ちによる美しさなんて本当は微々たるものじゃないかと思うんです。全て神が与えた運やオーラが美しさを作っている。私、マンデラさんの笑顔が好きだったんです。数十年も監獄に入れられていたのに出てきた時のあの笑顔。マンデラさんの笑顔に敵う人いないなと思ったんです。

顔をって自分で作り上げるものなんじゃないか?

イケメンだとか美女だとか言う基準は凄くいい加減。人は美しいだけで、ちやほやしてくれる。でも、その運が消え去った時に、私たちは自分の顔に責任をもたないといけない。イケメンであるのが大切なんじゃなくて、自分が生きている間に何かを成し遂げて、いかに自分の顔に美しいしわを残すのか。

どれだけの顔を作り上げるのか?

もう、私は40歳を過ぎたんです。どこにでもいるありきたりな顔。ブサイクな顔。でも、私は時と共に美しくなりたいんです。

美しい生き方。

いかに自分の顔を作り上げるのか?が問題。人生100歳の時代。40、50歳までがいい顔じゃなくて、どうやって、時と共に風雪に耐え、素晴らしい顔にしていくのかが問題。40歳過ぎた顔には自分の生きた道が刻印されていく。必要なのは若い頃の美貌じゃなくて、これから生きる時の勇気。これから、如何に生きるか?の勇気と哲学が必要とされると思うのです。顔と言うのは自分の生きた証明書。どこまで、自分の試練に戦い続けることができるのか?どこまで強く生きていけるのか?顔とは美しい生き方ですよ。きっと。美しい、いい顔と言うのは試練に負けなかった顔だと思うんです。だから、苦しくて、辛くて泣きたい日々があって諦めたいけど、試練に負けず、社会に負けず、弱い己を克服した時、自分が如何に美しい顔になるかなんです。私たちは、どこまで美しい顔になるか?を試されているんですよ。



「能」の真髄を書いたとされる、世阿弥の[花伝書]では「時分の花」(若さゆえの美しさ。時と共に散る)と、「まことの花」(鍛え抜いた修行による美しさ。時と共に輝く)の違いを説いている。自分を弛まず磨いた人だけが、年をとっても変わらない「まことの花」と咲くことができるというのである。

池田大作 人生の座標