voldenuit12’s diary

平和、社会情勢、趣味、アート、音楽、映画、読書のことなどつらつら書いていきたいな

崇高な魂 醜悪なる魂

ナタリーポートマンの映画「ポップスター」観に行ったんです。最近、外出することが多くて、買い物に行くのもしばしば。ユニクロのセール品見てるとどうしても欲しくなる。1500円、1000円のお値打ち品が揃ってる。ユニクロの服に可愛いバックや靴、アクセサリーを身につけたらどれだけ、可愛いんだろう?お洒落じゃないけど、お金があるだけで、見るのに余裕が出てくる。やっと外出できるようになって、自粛が解けて、店に活気が出てきている。でも、ニュースを見ていても不景気で破産倒産が相次いでる。これからの失業率もかなりの率ででてくる。経済的に余裕がある人は少しでもいい消費に回さなきゃいけない。一律給付金が出るのを当てにして、安い服をなん着か買ったり、安いアクセサリーを買ったり、私も貯蓄に回さないように消費してる。今はお買い得


商品が揃ってる。どこにいっても不景気だから、可愛いアクセサリーやバック、靴がセールで売っている。このピアス、なんと、GUで390円。シンプルな服に大振りのアクセサリーをつけるだけで、ワンランク上がる。やっぱり、女子です。お金がないから、お洒落なんてどうでもいいだなんて思っていたけど、いざ、お金があると、少しでもお洒落したい気持ちが出てくる。大阪の繁華街にでると安くて可愛いものがいっぱい。是非、余裕がある人は消費していきましょう。本当はブログアップしてる暇もなかったし、人権問題(人種差別問題)や、言論の自由、など色々感じた。でも、今日は、映画「ポップスター」観て思ったのは世界の文化がどんどん醜悪なものになっているのかもしれないということ。映画は結構難しかった。最後、そこで終わるの?と言う展開。何かを考えさせる映画。私が感じたことは、この文明がどんどん進んで魂の荒廃が進んで、拝金主義に成り代わり、魂の発露の芸術さえもお金になる醜悪な状態へと落とす。

映画の中で民衆はバカだから、どんどんそれに合わせて愚劣なものを作れば売れる。売れればいいと言うような台詞があった。

私たちが今聴いてる歌は何なんだろう?

そう、思った。少し話がズレルけど、醜悪な人っている。昔は目が覚めるほど美しかったのに、自分の顔に責任持たないといけない30代のその顔は醜悪そのもの。面白い観察対象だなって思って観察しているけど、その人は醜悪そのもの。若い頃誇った美貌はもう面影もなく、ただの醜悪な顔。顔に全て刻み込まれていく。それは顔立ちがきれいとかの問題ではなく、オーラも放つ目の色も濁り、不幸せだから、人の不幸を喜ぶハイエナのような存在。放つ言葉も汚いゴミの恨み妬みの言葉ばかり(私も人のこと言えないけど(笑))若い頃恵まれ過ぎて何も訓練しなかったつけが今回ってきて不幸の中、人を蹴落とすことによってでしか幸せを得れない境涯。もう、出てる。ファッションセンスもない、着こなしもない、美貌?もう、打ちのめされたハイエナの顔、教養も才能も知性も品格も魅力も人格もない。あるのはハイエナの本性。もう、落ちるだけ。こんな人の不幸を食って生きていく汚いハイエナのような生き方なら、死んだ方がまし。美しさというのがない。

反対にどこまでも崇高なる人っていてる。魂から輝いている人。美しいの。もう、オーラが違う。私、憧れている人は一番はローザパークスさん、黒柳徹子さん、美輪明宏さんなんだけど、少し年齢が上過ぎて将来の私がおばあちゃんになったときの理想です。今は宮沢りえさん、宇多田ヒカルさん、冨永愛さん。オーラが半端なく綺麗でしょう?嫌らしいものがなく、世界で鍛え上げられてきた信念と教養がある。見ているだけで何でこんなにも美しいんだろうって惚れ惚れしてしまう。宮沢りえさんは苦労して培ってきた優しい人間性に、あの芸術のセンス、日本を代表する演技力。宇多田ヒカルさんはあの博学、人に配慮する人間性、教養の豊かさ、もちろん日本を代表するトップアーティスト。冨永愛さんも日本人離れしたスタイルにあの着こなし、放つかっこよさ。人柄も嫌みがない。さばさばして、それでいて信念貫いて美しい。才能や美貌に甘んじることなく、努力して、己の道を貫いた人と言うのは魅力が光ってる。で話を戻して、醜悪なる音楽。

売れればいい。

芸術は魂の発露。それが拝金主義に犯され、魂を売り、軽い、安い、安易な音楽となる。私ね、今の音楽を否定できない。私は売れてる音楽も聴くから。ここ最近聴くのもYOASOBI。

ミーハーでしょう?(笑)

何となくボーカロイドが気持ちよくて機械音で心が踊る自分がいる。以前あれだけ嫌いだったのに。大阪の街に来て約10年。この喧騒と孤独と混乱の街に慣れてきて、大好き。で、このアスファルトの大地とコンクリートの街の中で孤独を感じるとき、どこか狂いそうで叫びたくて、その気持ちを代弁してくれるのが現代音楽なんです。切なくて、苦しくて、叫びたくて。街の喧騒の中に自分の足音が消える時、kinggnuやYOASOBIの音楽を聴くと落ち着くと言うか。彼らの音楽が醜悪だとか思えない。ただ、私たちの環境が醜悪になってきているんじゃないだろうか?拝金主義がはびこって、人の心を平気で踏みにじって、嘲笑う。無関心やシニカルが蔓延して、人間が人間でいられない。人間は生まれてきて醜悪な存在なわけではなく、環境に流され、染められ、醜悪になっていく。

崇高な生き方を目指すなら、もう一回崇高な魂に触れ、自分を作り上げるしかない。文学もトーマス・マンゲーテ、デュマ、ユゴートルストイシェークスピアに触れ直したり、バッハやベートーベン、プッチニ、ショパンブラームスを聞き直したり、絵画もダヴィンチ、レンブラント、アングル、ボティッチェリ、ゴッホから見直したりしなきゃいけない。私はバスキア、アンディーウォーホルが好きなんだけど、全て、現代にしすぎると神経がいかれそう。健全な美しさにも触れないといつか、この醜悪な文明に魂をやられてしまう。下地がないと受けきれない。

崇高な魂

それは訓練するしかない。

あなたは汚れた醜悪な人間になりたいですか?

人の不幸を悦び、弱い者を苛めて楽しみを味わうような最低な人間になりたいですか?

優秀な人間とは崇高な魂の持ち主ではなかろうか?

もう、15年前に買ってもらったマレーネデートリッヒのアルバム。マレーネデートリッヒは信念の人。悪と徹し抜いて戦い抜いた。ナチスと戦い、祖国から蛇蝎のごとく嫌われた。それでも、信じ抜いた道を歩み続けた。

言論の自由と守ること。

人種差別と戦うこと。

弱い人の味方になること。

それが私の信念。病気との戦い。焦れば焦るほど酷くなって、自分を責めれば責めるほど寛解が遅くなる。私の病は完治はしないらしい。どこまで病と上手に付き合っていくか。心ない人は笑い、非難する。

甘ったれんなって。

言いたい奴には言わせておく。自分には自分の道がある。病のことは主治医との相談で治すしかない。ただ、自分が信じた道を歩む。

それこそが私が感じる崇高な魂だから。

あなたには信じる道がありますか?